本当のキリスト教を理解している人たちは「愛する」「愛している」という言葉を口にします。
神さまからたくさんの愛を頂いていることへの信頼がありますから、その言葉を発する時には何のためらいもありません。むしろ自信を持って発しているかもしれません。
長い間続いているコマーシャルに「そこに愛はあるんか?」というのがありましたが、これは愛を確かめる文言です。聖書には「神は愛です」とあります。
また、ヨハネの手紙14章11節には、「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。」と愛という言葉がいっぱい出てきます。キリスト教は「愛の宗教」と言われており、「愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。なぜなら、神は愛だからです。」と書いてあります。こんな話を聞いたことがあります。男の子が本当の「愛」はどこに売っているのかを探しに行くというお話なのです。スーパー、カード屋さん、お花屋さん、でもどこにも「愛」という物は売っておらず、がっかり落胆しておりました。しかし、本当の愛を見つけなければならないと思っていると、図書館のお姉さんから「教会に行くこと、牧師先生から愛についてのお話を聞くこと、聖書を読むこと」を優しく教えられました。そこで、「ありのままを受け入れて下さり、護り導いて下さる神さまを知った」男の子は「愛」という温かなものに巡り合えたというお話です。
「愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。」なぜなら、神がまず私たちを愛してくださったからです。私たちはその愛を神から受けたのです。ですから、その神の愛は、人への愛となって現われるはずです。
神を愛すると言いながら人を憎んでいるなら、その人はうそをついていることになります。神への愛と人への愛は一つでなければならないからです。
残すところ1ヶ月で卒園を迎える子ども達がおり、また、1年間の力を得て次のステップへ踏み出そうとする子ども達がおります。
愛されていることを感じながら自分自身を大切にし、お互いに愛することのできる仲間同士がお互いの良さを認め合いながら「愛の歌を…」その響きを五感で感じながら成長し合って欲しいと願っております。
本当の愛を知っている岩沼保育園の子ども達ならできると信じております。